絵とおはなし
「夢を見る練習」
無重力遊びをしましょう。
身体が軽くなってふわふわ浮かんでなんて楽しいこと!
今夜眠る前にそんな無重力世界を漂う夢を見ようって
そんなふうに思いながら眠ってみてね。
これは夢を操る練習よ。
最終着地点は現実が夢だって夢が教えてくれるところへ行くことよ。
今日も良き1日でした。
感謝してありがとうございました!
今日はギャラリーで空いた時間にちょっと物語を書いていました。
起承転結のある長い物語を書くのは苦手なんだけど、ポップアップを使ったこぢんまりした紙人形劇みたいなのをひとつ作ってみよかしらという思いが自然と湧いてきていて。
来年のいつかに完成できたらいいな、くらいのゆるい感じで作ろうかな。
ワクワク^_^
さて最近は、というか前からですが、テレビでは毎日悲惨なニュースばかりを朝からやっていますね。
しかも同じニュースを何回もやってる。
そんなテレビは見たくないけど、老人がいる家ではそんなわけにもいきません。
朝から明るい話題と交互して必ず事故やら火事やら殺人やらの話題が織り込まれてくる。
その当事者の方はもちろん気の毒であってそれに対してどうのこうのはないけれどそんなことばっかりやってるテレビってなんなん?って、思っちゃう。
テレビで見なければ知らずにすんでいく自分が生きる生活圏ではない世界の事柄。
それが、明るく楽しいものならどれだけ見たり聞いたりしてもなんでテレビはそんなことばかり流すのかと疑問を持つことはないと思う。
でも自分の人生を振り返っても怖いニュースが自分のためになったことってあったっけな?
ただ、怖い思いが残っただけだよ、わたしの場合。
それどころかそんなの知らなきゃ良かったって100%思ってる。
お母ちゃんなんて朝からテレビ見て「こんなことばかりや」なんて言ってる。
でも、現実は「こんなことばかり」ではぜんぜんないよ。
なのに一生自分が遭遇することはきっとないだろうくらいの確率のそんないろいろに同調して「ああ、かわいそう」「怖いなあ」と、1日に何度も唱えるように言っているから、それってただ見ているだけでかなり良くない影響があるなと思ってしまう。
もしかすると怖がってると逆にそんなことを引きつけたりする悪作用も考えられるのでは?
だから本当に言葉には気をつけなくちゃ。
事件などに対して軽々しくこんなことは言えないけど、「かわいそう」という言葉は、相手に対して失礼な言葉ではないかと思ったりする人は結構いると思う。
その人のチカラを信頼するなら「かわいそう」なんて言葉は出てこないと思うんだ。
あくまで普段の生活レベルで考えるともし自分が人に「かわいそう」と言われたら?わたしならそんなふうに人に見られてる自分に対してがっかりしちゃう。
だから人にもそう簡単に言っちゃいけない言葉のひとつだなって思ってる。
しかも、それを言ってもその人に何ひとつしてやれることなどないならそんなに簡単に「かわいそう」と言う言葉はやっぱり使ってはいけないように思う。
言葉は言霊。
見えないけどすごいチカラを持っていて「かわいそう」という言葉は言われた相手のチカラを奪う作用を持っていたりするうえ、放った自分のチカラまでも奪うくらいの意味がある言葉だと思う。
慎重に使うべき言葉のひとつ。
その言葉を使う代わりにその相手や世界に対して「大変なことが確かにあったけど、きっとあなたなら大丈夫だ」って、心で思うだけでもそこに良いチカラが生まれるように思う。
とくに「かわいそう」と言ってしまった相手になにもしてあげることができないなら、そっちの方が相手にも自分にもずっといいのでは?
「信頼」は、「かわいそう」のかわりに使えるパワフルなものだと思います。
今日はやたら熱が入ってしまいました。
すみません。
というのも認知症のお母ちゃんがテレビを見てやたら「かわいそう」と「怖い」というあまり良くない言葉を何も考えずに使いまくっていることに「なんだかなー」と思ってしまう日々であったりするから。
なんせ、認知症であるからしてあれこれ話をしても納得するのはほんの一瞬で、しばらくするとすっかり忘れちゃって結果毎日そんなあまり聞きたくない言葉を何度も聞かされるワケなのであります。
地道に周りにも良くないことなんだよね、それって。
まあでも、そんなだからこんなことを自分なりに考えたり気づいたりできるということでもあるのでそれはそれで意味のある時間だとは言えるけどね(笑)。
あ、そう言えばそんなわたしとは何かにつけて対称的な夫は、朝っぱらから平気で戦争映画や残酷であったり重い番組を見てたりする。
そして、わたしには「あんたもそんな綺麗なもんばかり見とらんと、世の中はそんなもんばかりとはちがうんやで」なーんて言ってきたりする。
そりゃそーかも知れないけど、それはただやっぱり夫とは何もかもちがうんだなと改めて思ってしまう材料にしかならないんだよね(笑)。
人は外からそんなこと言われても変わりませんよ。
「そうかな、じゃ、わたしも戦争映画見ようか」とは、ならないのでありますよ。(笑)。
「厳しいことが起こったら起こったで、その時考えればよいよ」と思う派です。
ただ、違うことがいけないと言っているのではありません。あしからず。
さあ、長くなりましたが、それでは明日もテレビときっと放たれるであろうお母ちゃんの悪しき言霊にやられないように自分を保って明るい世界線を行きましょう(笑)。
ではではまたね!
明日12/18(水)もギャラリーオープンします^_^
どうぞよろしくお願いします!
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